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Vol.01 ジャン・キルシュタイン
2017.08.07 Updated.
夢は心の写し鏡だと、誰かが言った。
残酷な世界に立ち向かう人々がみる夢は、つかの間の安らぎか、胸に抱える昏い深淵か

 目まぐるしく移り変わる日々に、ジャンは毎晩、疲れて眠りにつき、ほとんど夢をみないでいた。
 負傷が癒えていないせいもあるだろうが、精神的にも疲れがたまっているためだろう。
 死闘のすえ、シガンシナ区から「結果」を持ち帰った調査兵は、巷では英雄ということになっている。そのように伝えるほかないのはわかっているし、そう伝えるのが残された人々にとって最も幸せだということは理解しているつもりだ。
 しかし、実際にその場を経験したジャンにとって、あの戦いで多くを失った事実に変わりはなかった。
 そんなある夜、珍しく眠りの浅い日があった。
『故郷に
帰るんだ』
 暗闇の中で、声が聞こえる。
 月のない、手元の明かり頼みの道。この暗さは……夜の行軍だろうか? あの夜の?
 だとしたら、声はただの夢だ。この声のあるじと戦うために、ジャンたちは闇のなかをシガンシナ区に向かったのだから。
『悪かったな。俺たちを滅ぼさねえと、お前らは帰れなかったんだろ……こっちも……滅ぼされるわけにはいかねえんだよ』
 かつて同期としてともに訓練を受け、仲間意識を持っていた者たちの影に、ジャンはそのとき作り上げておいた理屈を告げる。
 闇に浮かぶ、三人組の気配は、納得しそうになかった。
『……こんな理屈が聞きたいんじゃないよな』
 三人は……ことに、一番背の高い者は、うなずくようなしぐさでジャンの譫言に応えてみせた。

『お前ら……強かったじゃねえか。俺たちの仲間を大量に殺しやがって……それで恨みがましい目で見られても……説得力がねえんだよ……』
 けれど、そんなにも人間離れした、神の如き力を持っていたベルトルトさえ、最期は混濁する意識のなかで、自分たちに一度は助けを求めたことを、鮮明に覚えている。
 その光景はジャンにとって、『同期が目の前で巨人に食われる』姿であり、なおかつ、『同期が巨人として同期を食う』、凄惨な現場であった。
 今まで、日常だったはずのものは、みなどこかに消えてしまった。
 持ち帰った成果の研究によれば、ライナーやベルトルトが壁のなかの民を襲ったのにも、彼らなりの正義があってのことだという。
 もはや、誰が仇なのか、わからない。だから、言葉も見つからない。
『わからねえんだよ。俺たちは誰に謝ればいい? 俺たちは誰に誇ればいい? 今の俺には
 薄くなってゆく、死んでいった同期たちの姿のかわりに、握りしめた拳のなかに、熱くてさらさらした砂のようなものの感触が生まれる。
『ただ、目の前にある『やるべきこと』しか……もう、見えねえんだよ』
 そうして、手の中の灰は、指の隙間からすべて、こぼれ落ちていってしまった。

「なあ、ジャン、今朝、うなされてなかったか?」
「まだ傷が痛むんですか? もうすぐ包帯がとれるって聞きましたけど……」
 目をさまし、共同の部屋に行ってみても、やはり生き残っている同期の数は少なかった。軍規違反で謹慎中の連中を数にいれても、かつて謳歌した日々とはまるでちがう。
 ジャンはため息をついて、彼らの心配をあしらった。ただでさえ悩み事の多い仲間に、余計な負担をかけたくはなかった。
「変な夢をみただけだ……何もねえよ」
「何か……手がかりになりそうな夢をみたの?」
 自身に起きたことを受け容れ、それでも精力的に研究を進めているアルミンの真っ直ぐな目が、少し羨ましかった。
「いいや……お前のとは違う。ただの人間の、ただの夢だ。……何の価値もねえよ」
 「力」を継承したものは、夢で重大な手がかりを得るかわりに、その夢を忘れてしまいやすくなると聴いている。
 
忘れてしまえるのならば、どれだけよかったか。否、忘れてしまいたいと考えるのは、やはり無責任か……
 ジャンはどこまでも自分が人間のまま、それでも常人とはかけ離れた経験を背負っていることを実感して、首を振り、夢と迷いを振り払った。
(了)

 
ハンジ・ゾエ

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