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Vol.02 ハンジ・ゾエ
2017.08.17 Updated.
夢は心の写し鏡だと、誰かが言った。
残酷な世界に立ち向かう人々がみる夢は、つかの間の安らぎか、胸に抱える昏い深淵か

 「次期団長」という立場は、理解しているつもりだった。調査兵団という組織は、いつ誰がどのように命を落とすかわからない。そんな中で数ヶ月前、トロスト区が襲撃され、戦いがはじまった。
 同年代の者や目上の立場の者が次々に死んでゆく事態のなか、当然、ハンジの上にその責任が降りてくることも覚悟していた。
 だが、そうなることはつまり、調査兵団という非日常のなかでも僅かに存在した、『日常』との決別なのだと、果たして自分は理解していただろうか?
 女王が政務をとる内地にて、「団長」のためにあてがわれた大きな机を前に、ハンジはあれこれ書類に目を通しながら、傾きかけた陽の光に目を細めた。
 日中の明かりの燃料を節約するために設けられた大きな窓は、光と一緒に、なまぬるい外気まで伝えてくる。
 うつらうつらと、頭が揺れて、眼鏡越しの文字が霞んでくる。疲れがたまっているのだろうか。
「エルヴィン……よくこんな仕事をこなしていたよ……はは、まさか、こうなることを見越して、私に押しつけたんじゃあないだろうな」
 冗談のつもりで呟いた言葉が、自分でも冗談に聴こえず、ため息をつく。こんなとき……横で何か言って、目を覚ましてくれていたのは

 机の向こうに、誰かが立っている。
 以前のように、ハンジの言動をまとめるメモをとっている、物静かな姿。
『……わかってるよ。ちゃんと仕事をしてるじゃないか』
 その影に向かって、顔をあげようとするのに、うまく頭が動かなかった。
自分は眠っているのだろうか? だとしたら、これは逃避だ。早く目を覚まさなければ、と思うのに、思い通りにならない。
『わかっているんだ。あのとき、私が助かったのは……偶然じゃない』
 調査兵団における命の優先度を知っていて、一瞬のあいだにそれを判断し、ためらいなく実行に移した、かつての副官
 彼の判断なくして、ハンジが今日、ここに無事で座っていることはなかった。その礼を言う時間もないまま、彼の姿は灼熱の光に焼かれて消えてしまった。
 だから、夢のなかでその影をみてしまうのは、叶わなかったことを叶えたいと願う、現実逃避なのだ。
『昔の夢をみているようじゃ……若い兵士たちに偉そうな顔はできないね』
 つぶやきに、影がなにかを言ってくれそうな気がした。
『分隊長
 影の数はいつの間にか、ハンジがかつて率いた部下たちの数と同じくらいに増えていて


長。団長!」
「はっ!? 起きてるってば
 厳しい声に顔をあげると、ドアを勝手に開けて入ってきたと思しき人物が、鷹揚な笑みを浮かべて歩みよってくるところだった。
「ピクシス司令……」
「女王陛下から、会議の招集じゃよ。今回はワシら駐屯兵が中心の議題になるが、調査兵団も同席するようにと仰せじゃ。使いを出しても返事がないというから、団長の部屋を勝手に開けられる身分のワシが来たほうが早いと思っての」
 職権濫用とは言ってくれるなよ、と、肩をすくめる司令の姿に、ハンジはゆっくりと立ち上がり、深呼吸をして、「調査兵団の長」としての言葉を口にした。
「……すぐ行きます。ほかに必要な人員は?」
「リヴァイ兵士長には、もう使いをやっておる。あとは使いの者が適当に見繕ってくるはずじゃ」
 眠気を無理やり投げ捨てて、ハンジはきびきびと動き、必要な書類を揃えて小脇に抱えた。
「おぬし……副官や直属の部下を選ばんのか? そろそろ組織の再編を考えてもいいじゃろう」
「……そのうち募集をかけます。でもそれは、これからの時代の、調査兵の仕事が明確になってからの話です」
 眼鏡をかけなおし、部屋をあとにする。その背後に、また誰かの影のようなものが横切った気がして、それでもハンジは振り返らなかった。
 振り返る時間など、眠っているあいだだけでいい。でも、眠っているあいだならば、自分たちのことを思い出してくれていいと
 背中を押されて、「ハンジ・ゾエ団長」は、現実へ足を踏み出した。
(了)

ジャン・キルシュタイン
アルミン・アルレルト

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