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vol.16 エルヴィン・スミス
2017.06.29 Updated.
 エルヴィンはそれなりの街育ちである。親は教師で、町の教室で初等教育を受けた。
 そんなわけで、馬という生き物を乗り物として捉える機会は、兵士が乗っているのを見かけるか、さもなくば馬車に乗ったり、道を通るのに出くわしたりするときだけだった。
 兵士をこころざし、訓練兵となったとき、運動能力が高く、勉学も優秀だったため、すぐに頭角をあらわしたエルヴィンではあったが、馬術だけは農村育ちで普段から馬に乗っていた同期にはじめのうちだけ、遅れをとってしまっていた。

 彼が訓練兵のころは、壁外調査におもむく調査兵を目指す人間はほとんどいなかった。
 とはいえ、壁内を移動するのにもっとも速い方法は馬に乗ることだし、各都市勤務の駐屯兵であっても、憲兵であっても、馬術は覚えなければならない。
 教官は訓練兵が様々な層の出身であることを考慮し、できるだけ一から丁寧に教えてくれた。
「そう、手綱は小指と薬指の間に通すように持つんだ。これで方向を示して、太ももで挟む力で進行、ないし停止の指示をだす」
「(そう言われても……)」
 相手は動物である。しかも、体重の軽い乗り手が子供であることを理解し、明らかにバカにしている。
 さらに苦労したのは、兵士の場合、馬の手綱を握ったままで、二本指を使いトリガーを引く立体機動装置の柄を握らなければならないことだ。
 となると、すべての指を自在に動かしたうえで、かなりの握力が求められるということだ。十二歳そこそこの少年には、かなりの負担である。
「じゃ、エルヴィン、試しにこいつでも握りつぶしてみるか?」
 宿舎で同期のナイルにからかわれ、少年のエルヴィンはむっとして、投げつけられたリンゴ
当時の訓練兵はまだ、そういうところが甘かった
を片手で受け取る。
 エルヴィンの手はまだとても小さく、リンゴにはわずかにヒビが入っただけだった。

 それから訓練を積んで、エルヴィンも乗馬に慣れてきた。正しい姿勢を保てるくらいに足腰は強くなったし、立体機動装置と一緒に手綱を握れるほどの握力もついた。手の皮は分厚くなった。
 そんなある日の馬術訓練のとき、岩や小川などの障害を超える課題が出された。
「うわっ!?」
 先を走るエルヴィンの後方で、誰かが落馬した。馬のいななきが聞こえる。障害に驚いたのだろう。いかに軍用の、訓練された馬といえども、慣れぬ少年が下手な乗り方をすれば拒絶するのだ。
「いま行く!」
 エルヴィンは、落ちた同期が受け身をとり、無事なのを目で確認すると、すぐに乗り手を失った馬の方を追った。その馬を連れてくると、落馬した同期は他の人間の治療を受けていた。
「お前、人間よりも馬を優先したんだって?」
 そのときのことを、後になってから、冷酷だと詰られた。情があるならまず、落ちた人間を気遣うべきだというのだ。しかし、少年のエルヴィンは真っ直ぐな目で反論した。
「人間が怪我をしても、馬に乗れば帰還できる。でも、馬が怪我をしたら巨人から逃げるすべはなくなるんだ」
 彼の言葉が壁外での調査を前提にしているので、同期たちはあきれかえったものだった。

 成長し、エルヴィンは調査兵の団長にまで昇りつめた。無論、馬は自由自在に乗りこなせるようになっていた。煙弾を使う戦術を編み出したのと同時に、馬がその音で驚かないよう、手綱のとりかたもうまくやれるようになり、兵士たちに教えていた。
 戦いの中で片腕を失っても、自在に馬と立体機動装置とを操り、落馬しても再び飛び乗れるようになった。
 決戦を控えたある日、休憩室に置かれた果物の山を、同じ会議に出ていたナイルがなにげなく見た。そこにあるリンゴを手にとって、感慨深げに眺める。
「うちの子供は、これが好きでな。俺が帰ると、皮をむいてくれとせがむんだ」
「いい父親じゃないか」
 くだらない会話を交わしながら、赤い果実を手の中で弄び、笑みを浮かべる。
「今じゃ信じられないが……お前、こんなものも潰せないくらい、ガキだったんだよな」
「はは……何年前の話だ」
 ナイルは、エルヴィンが落馬した同期を助けるとき、馬を優先したときのことを思い出したようだった。
「お前は正しかったよ。生きて帰るには馬が必要だった。おかげでお前も帰ってきたわけだしな」
「次もそうなるとは限らないさ」
 お前はいつもそうだ、ものを見る目が冷静過ぎる、と、ナイルは困ったように笑う。
「買いかぶりだ」
 調査兵をめざしたのは、自分の欲ゆえで、善をなすためではない。けれど、それをナイルに言っても仕方がない。
 エルヴィンはただ目を伏せ、片方だけ残った、節くれだった掌を見つめるのだった。
[了]

アニ・レオンハート
マルコ・ボット

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